札幌の温泉などの資料博物館や近場にたくさん観光名称はありますので、旅の宿泊施設としては便利なところです。
この定山渓温泉(じょうざんけいおんせん)は、北海道石狩支庁管内札幌市南区(旧蝦夷地、明治以降の旧石狩国)の定山渓温泉地区にある温泉です。
昔も、現在も「札幌の奥座敷」と呼ばれて親しまれています。
古くアイヌに知られ、江戸時代には通行した日本人が入り、1866年に美泉定山が温泉宿を開いたのが始まりみたいです。
1918年に定山渓鉄道が通ってから大きく発展しました。
この鉄道今もあったら、乗ってみたい電車ですね。
札幌の至近にある温泉で、市内の人々のほか、札幌観光の一環として多くの道外や外国からの観光客が利用しています。
札幌市の調べによれば、2003年度(4月から翌年3月)に日帰り客91万1千人、宿泊客152万8千人、計239万9千人の観光客が訪れ、宿泊客のうち3万6902人が外国人であったみたいです。
また、354校が修学旅行で訪れていました。
交通アクセスは、
札幌駅前バスターミナルよりじょうてつバス7・8番定山渓車庫前または豊平峡温泉行きに乗車(約70分)
札幌市営地下鉄南北線真駒内駅よりじょうてつバス12番定山渓車庫前行きに乗車(約50分)
(1920年から1969年まで定山渓鉄道が交通アクセスとして存在した。)
車では、札幌中心部からは、40分から50分 南区真駒内からは30分少々で着きます。
しかし、観光シーズンは国道230号線は、かなり混みますので時間の余裕が必要です。
定山渓の温泉の泉質は、塩化物泉です。
温泉街で、温泉は豊平川の川底から湧いており、その川沿いに温泉街が広がります。
2005年現在ホテル17、公共宿泊施設7があり、他に会社などの保養所も多いところです。
河童にまつわる話が残ることから、街路に多数の河童の像が置かれている。足湯、手湯はそれをモチーフにしています。
周囲にはスキー場がいくつかあります。
また、温泉街から少し離れた国道沿いにある定山渓小学校の敷地内には、定山渓郷土博物館があり、美泉定山や温泉の歴史、定山渓鉄道に関する資料や昔の生活道具などが展示されています。
ここは、札幌の人もあまり気づいてはいない観光名所でもあります。
なお、温泉街から札幌国際スキー場を経由して小樽市の朝里川温泉方面に向かう道路の途中には、小樽内川を堰き止めて作られた定山渓ダムと人造湖のさっぽろ湖があり、同ダム下流側の園地には定山渓ダム資料館もあります。
また、豊平川上流の豊平峡には、豊平川を堰き止めて作られた豊平峡ダムと定山湖があり、豊平峡ダムには、豊平峡ダムミュージアム(愛称:「ひふみみはなめ」)が併設されている他、豊平峡ダムの近くには、展望台とレストハウスも設置されています。
さらに、豊平峡ダム周辺には、札幌市定山渓自然の村もあります。
近隣には、薄別(うすべつ)温泉(国道230号を札幌都心部と逆方向に進むとある。
1軒宿の高級温泉旅館がある)、豊平峡温泉(定山渓から豊平峡ダムへ向かう途中にある)、小金湯温泉(定山渓から札幌都心部へ向かう途中にある)などの温泉もあります。
場合によっては、これらの温泉を定山渓温泉と併せて扱うこともあります。
定山渓温泉は、現在通称かっぱ温泉とも言われています。
かっぱ祭りも行われています。
かっぱの由来は、1965年(昭和40年)に、定山渓観光協会は漫画家おおば比呂司の助言で河童をモチーフにした街づくりを始めました。
かっぱ音頭を作り、かっぱ祭りを催し、そのために河童の伝説を創作しました。
豊平川の淵に身を投げた青年が、後に親の夢枕に立ち、自分は河童と結婚して沈んだのであり、今も幸せに暮らしていると告げたというものであります。
これ以後河童は定山渓のシンボルとなりました。
この定山渓温泉は、札幌市の奥座敷という位置づけもあり、多くのホテルが一昔前の「宴会を行う団体客向け」の構造となっています。
このため、個人客が主流となった現在の旅行形態とミスマッチを起こしており、各ホテルは経営に苦心しているのが現状です。
こうした流れを打開するため21世紀に入る頃から、海外からの団体観光客を積極的に受け入れるようになりまりました。
台湾・香港・大韓民国からが主でみたいですね。
また、温泉のおみあげもたくさんあります。
日持ちはしませんが、たまに定山渓の温泉まんじゅうを食べると旨いです。
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