現在の北海道弟子屈町にあたります。
大規模に噴出ガスを排出し、周囲の樹木が枯れた光景が広がっています。
地熱の影響で冬でも雪が積もることがないです。
山の麓に川湯温泉がある。
概要としては、
明治時代の士族反乱(西南戦争等)における国事犯収容施設(集治監)の建設、北海道開拓の停滞を打破したい開拓使の方針、安田財閥による鉱山開発の意向など様々な思惑が結びついて行われた開発された鉱山であります。
鉱山としての命脈はわずかな期間であったが、集治監の設置や鉄道の建設などを通じ行われたインフラの整備は、後の釧路地方開発の礎となりました。
硫黄山の歴史
1876年 現在の釧路市の網元佐野孫右衛門が開発に着手(後に開発は頓挫し、権利は函館の銀行家の手を経て、安田財閥へ移る)
1884年 現在の標茶町に釧路集治監が設置。
収容者による鉱山開発が活発化する。
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886年 標茶町〜鉱山間に安田鉱山鉄道の敷設を着手し、同年中に完成。
後に釧路鉄道として鉱石輸送が始まる。
1890年頃 硫化水素中毒による斃死者が増え、看守も含めて200人近くが倒れたことから労働条件が問題となりました。
1896年 集治監の収容者による鉱山労働が中止。
1897年 資源枯渇のため採掘が中止しました。
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