明治29年築の建物は、日本の刑務所としては最古のものであります。実際に昔の獄舎の中に入ることができ、日本の脱獄王と呼ばれた白鳥由栄の脱獄シーンもマネキンを用いて再現しています。
また、北海道開拓使とともに歩んだ刑務所の歴史などの展示物も豊富である。
2004年より、観光シーズン中は博物館内の飲食施設にて、刑務所の食事を再現したメニューを提供しており評判を呼んでいます。
博物館網走監獄へのアクセスは、
網走バス天都山線 博物館網走監獄停留所下車。
網走バスターミナルより所要12分、網走駅より所要7分。
日中は1時間毎に運行。
網走バス女満別空港線 天都山入口下車、徒歩約15分。
または天都山行に乗り換え。
女満別空港より所要20分くらい。
博物館網走監獄ホームページへアクセス
観光として、正面で写真を撮りに行かれる方も多いです。
網走刑務所(あばしりけいむしょ)は、北海道網走市にある再犯者の短期処遇を目的とした刑務所です。
定員759人(2005年現在)。
アクセスは、網走バス・刑務所前停留所
網走バスターミナルおよび網走駅より「大曲行」「常呂行」「佐呂間行」「中湧別行」「美幌行」「女満別空港行」「天都山行」に乗車。
網走バスターミナルより所要約8分、網走駅より所要約4分。
女満別空港より網走行に乗車。所要約24分。
網走刑務所は、かつては日本で一番脱獄が困難な刑務所だと言われ、明治の脱獄王「西川寅吉」(模範囚として過ごし釈放)や昭和の脱獄王「白鳥由栄」(脱獄に成功)らが収監されました。
また、施設の劣悪さと凶悪犯が多いというイメージから、映画『網走番外地』シリーズの舞台ともなっています。
さらに、終戦前後の時期までは、治安維持法違反などの政治犯(主に、徳田球一や宮本顕治をはじめとする日本共産党の党員など)も収監されていたことがあります(ただし、宮本顕治が実際に収監されていたのは、終戦の日である8月15日をはさんだ1945年6月〜10月までの約4ヶ月間であり、その後、GHQの指令で治安維持法が廃止されたことにより釈放されている)。
1984年に現在の建物が建設された頃から環境の改善が進み、比較的刑期の短い者の収容が増えています。
木造時代の施設は移築され、天都山で博物館網走監獄として公開されています。
なお、映画「網走番外地」シリーズでは、所在地は網走市番外地となっているが、刑務所の所在地は、正しくは網走市三眺地区であり、住居表示では、網走市字三眺官有無番地となっています。
網走刑務所内の労働は、設立当初の集治監の当時は、刑務所というより凶悪犯と政治犯が同居する強制収容所といった趣が強く、収容者は情け容赦ない労働を強いられていました。
特に、160km以上に及ぶ北見道路(現在の国道39号の一部)を8ヶ月で突貫工事で完成させた際には、200名前後の収容者が死亡しました。
道路沿いの畑から、死んだ収容者が付けていたであろう手鎖が出土したり、荼毘に付されることもなく道ばたに埋められ土饅頭として残る墓など、厳しい労働条件を示す痕跡が現在も残る(鎖塚)。
集治監が廃止され監獄となる頃には、死亡者が続出するような強制労働が無くなり、土木工事への就労は続くものの、農場の開墾と営農が行われるようになりました。
この際にできた農場からは第二次世界大戦後の食糧難の時代にも、大量の米が生産・供出されました。
第二次世界大戦後の混乱期には、選抜された収容者が道内各地で道路、河川工事などに加わりました。
脱走などのトラブルは発生しなかったといいいます。
現在、刑務作業では農作業のほか、ニポポ人形などの小物工芸品づくりも行われ、観光客に好評を博しています。
窯業工場では,オリジナル製品(三眺焼)として食器,花瓶等の小物製品を中心に生産し高い人気を得ています。