札幌市の北に隣接しています。
札幌のベットタウン的な場所でもあります。
市名の由来は、アイヌ語の「イシカリペツ」(非常に曲がりくねった川)よりきているみたいです。
2003年1月から旧厚田村・旧浜益村と合併協議会を設置して協議を重ね、2005年10月1日に両村を編入合併しました。
石狩市の面積 721.86km² 総人口 61,449人(2007年2月末)
地理的には、石狩支庁北部に南北に長い市域を持っています。
西は石狩湾に面し、石狩川河口があります。
南は発寒川、茨戸川を隔てて札幌市と、東は同じく南北に長い当別町と、北部は暑寒別天売焼尻国定公園の山地で新十津川町や増毛町と接しています。
南部は標高10m以下の砂丘と低地、石狩川河口より北部には石狩丘陵をはじめとする丘陵地帯が広がっています。
気候的のは、海洋性気候で寒暖差は小さいところです。
対馬海流の影響もあり、冬は比較的温暖ではあるが、北東からの季節風が日本海を越えて吹きつけるため積雪が多いところでもあります。
また「石狩湾小低気圧」が発生すると猛烈な吹雪となります。
一年を通して風が強いため、市内には多くの防風林が設けられています。
交通アクセスとしては、
石狩市の交通における積年の課題は鉄道が通っていないことであります。
札幌へ通勤・通学するにはバスや自家用車を利用しなければいけないが、積雪時に起こる渋滞が問題となっています。
石狩市(町)内の鉄道計画は大正期より幾度も持ち上がっていたみたいです。
鉄道省発足直後の1922年の改正鉄道敷設法では「石狩国札幌ヨリ石狩ヲ経テ天塩国増毛ニ至ル鉄道」が予定路線として盛り込まれたが、1988年の同法廃止により消滅した。1956年には石狩町などが出資して「石狩鉄道株式会社」(1963年に「札幌臨港鉄道株式会社」に社名変更)を設立し、桑園-石狩間の事業免許を取得しました。
1959年に一部区間で着工したが、資金不足により間もなく頓挫しました。
事実上倒産状態にあった同社はその後も事業免許を保持し続けたが、後述の軌道系交通機関整備構想と競合するため、1998年に免許を返上し、正式に解散しました。
1995年に石狩町によって調査が行われた建設案には、札幌市営地下鉄南北線麻生駅、または東豊線栄町駅からのモノレール案、そしてJR函館本線発寒駅からの鉄道案の3つがあり、いずれも建設費約800億円、開業から17年での赤字解消という試算が出されているが、具体化のめどは立っていません。
また、軽川(現在のJR手稲駅) - 花畔間の道道石狩手稲線沿いには、1922年から馬車鉄道「軽石軌道」が運行され、さらに親船町付近までの延伸も予定していたが、1937年に営業休止、1940年に廃止されています。
バスは、北海道中央バスが市内全域で運転しています。
札幌市内から石狩市役所・石狩湾新港・厚田・浜益地区を結ぶ定期路線バスを運行中です。
国道231号経由で増毛・留萌を結ぶ日本海るもい号も1往復運行しています。
沿岸バス
特急はぼろ号の増毛経由便を1往復運行しています。
厚田・浜益・柏木各地区で乗降を取り扱っています。
羽幌までの長距離路線のため、全席予約制となっています。
道路としては、高速道路はありません。
一般国道は国道231号、石狩河口橋が1972年に供用が開始される以前は、親船町-八幡間は自動車も航走できる石狩渡舟を北海道開発局が運航していました。
渡船は1973年に石狩町に譲渡され、人・自転車専用となり、1978年に廃止されています。
国道337号、国道451号があります。
観光名所としては、暑寒別天売焼尻国定公園、番屋の湯、石狩展望台、マクンベツ湿原、川の博物館、石狩紅葉山49号遺跡(縄文遺跡)、厚田公園、義経の涙岩、ルーラン海岸、岡島洞窟遺跡、雄冬岬、千本ナラ、白銀の滝、石狩さけまつり(9月下旬)などが有名観光名所です。
中でのも、石狩さけまつりは、さけを安く買えるお祭りですから行く値があります。
近年は、そこまでの値段はありませんが、私が記憶する中でもは、さけ1本100円で10本買ってきた記憶があります。
帰ってからの料理が大変でした。
それと、けっこう行っているのが 石狩浜のすぐそばに番屋の湯があります。
この番屋の湯、値段が安くて、温泉気分が味わえるいい温泉です。
ただ 札幌市中央から行くには少々時間がかかりますので ドライブに行ったついでに車に風呂道具を積んでおいて寄ってくるのがいいかもしれませんね。
露天から見る海は、季節によって違います。
一度は、行ってみる価値は、あります。